日記
架空のキャラクターの設定で、他人と共にいることをあまりしない・一人でいる時間の多い理由として「楽だから」みたいなのがよく挙げられるけれど……、うーん、なんだかなー、と思う。
一人でいることを選ばない人も、ある意味ではそれが「楽だから」、そのように行動するのでしょう?
読むのをやめようかと思いつつもやめるのを決断できずに読みつづけてしまっている或るストーリーがあるのだけれど、その中では「会って話す」をなんかすごく重視されていて、話がそういう流れになる度に自分は動揺して、悲しみのような憤りのようなものを感じている。
「会って話す」を重視できるのはそれが苦手ではないから・特に問題なくできるから・成功しなかった体験がほとんどないから、だよね?
まず話すことそのものに困難がないのだと思う。
困難のある人・苦手意識の強い人なんてまるで眼中にないように思えてしまって。
責め立てるように使われる「言いたいことがあるなら言え」という決まり文句もけっこう苦しくて、これを言われると本当に話す意欲がなくなるよ。
萎縮というより諦める・見限るといった方が近い。
「今ここで、言え! 話せ!」という感じの迫り方をされるのは本当に無理。
「疚しいことがないなら言えるよね?」とかも。
安心して話せないのだもの。
会話って聴く方も努力しないといけないのではないかな。
聴く姿勢を示さない人がいくら「言え、話せ」あるいは「話してくれたらよかったのに」などと言っても、話そうと思えない、たぶんできない、自分は。
話すことをする方にばかり努力を求めていない……?
気を遣わないように気を遣わないとな。
オリンピックのバスケットボール、フランスVSブラジル戦を観た!
涙がにじんでくる 止まらない
玄関の外で座り込んでしまってしばらく動けなかった。
できないことがたくさんあってつらい
4人で行った旅行。10年くらい前の話。
写真を撮る人に笑顔を要求されてかなり不快だった。つらかった。
その人は、カメラを向けたら笑顔を作ってほしいらしかった。
でも私は特に笑顔を作ることはしなかった。だって笑顔を作らなくても楽しんでいるし。
無表情でも楽しんでいるし。でもその人は無表情は撮りたくないらしかった。
笑ってよと何度も言われたけれど、その時の私は頑なに笑うをしなかった。
撮りたければ撮ればいい。撮られることを拒否はしない。
笑顔を作っていない状態をなぜ撮りたくないのか分からなかった。無表情を撮りたくないはなんで?
私が自然と笑う瞬間を狙って撮影されるのも居心地が悪かった。
笑顔を作れと言われてそれに従うのが嫌だった。
向こうも私も不機嫌になった。
確か、仕事で疲れていたのだったと思う。もちろんイヤイヤ行ったわけではないけれど、テンションは少し低めだったと記憶している。楽しもうとはしていたよ。でも笑顔を作れと要求されてそれに従うのは嫌だったんだよ。ハイテンションでキャッキャするとかできなかったんだよ。
笑顔を作らないと楽しんでいない、笑顔でなければ撮るに値しない、と言われているように感じたのだと思う。
嫌だと言っているのに無理して作った笑顔を撮れたら満足なの? それでいいの?
作った笑顔が何の証明になるというの?
無理して作った笑顔に意味があると思っている人と、ないと思っている人。
私が気を遣うをしすぎ(?)ている理由、この経験が関係あると思っている。すごく嫌だったので、ああいうことにならないようにって。
態度も発言も、嘘をつかなければ他人とうまくやっていけない気がしている。
自分の感じたことや思ったことは抑えて、違ったかたちで接しないと、って。
性格や考え方に「秘密主義」という設定のあるキャラクターと出会い、少しの感動があった。
なんでもかんでも話して、そして分かってもらおうとしなくてもいいのか 、、
・
物語の序盤で提示される情報は後々覆されるためのものだったりするので、この先どういう展開になるかは分からないけれど、秘密主義というキーワードは自分の心に深く残った。
そんなこと今まで考えたことなかったから。
夜、眠ってそして、ずっとそのままでいたい。