2025/02/17

自分が強くなることによって苦難を乗り越えた人は、他者にも強くなることを求める。
弱いのが悪いのだと言う。


強い状態に変わるのがいやだ。

督促状に使われる用紙は赤い。

2025/02/13

カムカムエブリバディ
大月錠一郎を見て、苦しくなった。

「どうして教えてくれなかったんですか」は掛ける言葉としては最悪の部類に入ると思う。

2025/01/14

べらぼう
作中の台詞でしっかりと、望んで吉原に来るやつなんかいねえ、みたいに言い切っていたのに、吉原を盛り上げる方向に作品が向かおうとしているのは意味が分からなかった。
望んで働きに来る人がいない場所をなぜ盛り上げようとする? そこで働かされている人たちが望むのは、これ以上そこで働かないことではないの?
作品のやりたい方向性というか話の持って行き方と、自分の見たいと思っていたものは合わなそうだなと初回を見て思った。
悲惨さだけを表現するのではないという方針には賛成する。
見ていて良いなと思う場面も一部あるものの。

蔦重と田沼のやり取り(初回)も、なんだか…、政府や制度に頼る前に自分で努力しろ、みたいなメッセージに感じてあまり好感を持てなかった。
ありがたやまの、とか嫌味なく礼を叫ぶ様を見て、きっと自分はついていけないだろうなと思った。

全体的に話の持って行き方が好きになれないのだと思う。
吉原に限らずだけれど、遊廓で働いていた人たちの日常描写には興味がある。

2025/01/08

それはわたしのことじゃない


夜、横になって目を閉じると、他者の被害が自分の身に起きた場面を想像してしまい、それをやめようと思ってもやめられない、ということがある。
(他にも色々と考え事がとまらなくなることもある)

そういうとき、「それはわたしのことじゃない」と思い込むようにしているのだけれど、なんだかひどいことみたいにも思える。大抵の人は、他者の痛みを想像しなさいと教わる。

2025/01/04

NHKのドラマ「眩(くらら)〜北斎の娘〜」を観た。

良かった。
おもしろかった。
宮崎あおいさん演じるお栄の所作が良すぎる。
着物の着方が良い(特にお栄と、前半の善次郎)。
画面の色や、暗さの加減が良い。
小道具も見ていて楽しかった。

73分ではすこし短いと感じる。
善次郎とのエピソードが多すぎる。もっと絵の仕事についての場面が欲しかった。

「燃ゆる女の肖像」のように、もっとなんか、こう……、フェミニズム要素と言えばいいのかな、欲しかったかも。
お栄の生き方を、本人も周りも特別視している様子があまりなく、当然のように扱っているのはそれはそれでいい気もするけれど、あまりにもきれいにおさまりすぎていて、齟齬がなさすぎるというか、なんかこれはこれでどうなんだろう……と思ってしまった。
お栄のキャラクターはすごく良いのだけれど。

NHK朝ドラ「なつぞら」のときにも似たことを思ったけれど、人と人とが離れていても絵で繋がっているということが、自分はすごく好きだなと思った。
夫婦(めおと)にはならない。作品を通して繋がっている。
繋がっているというか、同じ「場所」にいる。

2025/01/04

これは本編を観る前の印象だけど、遊郭の女たちを救う男という構図、きもすぎる。

2025/01/04 15:12

・・・

大河「べらぼう」を自分は見た方がいいかなと思ってる。

つまんないと感じたり、見るのがつらくなったりしたらやめる。

予告を見る限りでは、ワクワクするとかはない。

てかなんで主人公、男? その人物の周辺に女いただろ絶対、そっちをキャラクターとして使えよなと、観る前からぶうぶう文句が止まらないんですが…

2024/12/30

此処にいてもいいんだ、と思いつづけることが難しい。
自分は此処にいない方がいいなと一度感じると、それをひっくり返すのが難しい。
相手(周り)がどう思っているかは関係なく、自分の気持ちの問題として。

意識を向ける先を自己ではなく、何か他のものにするのが良いとは思う、できるだけそのようにしているのだけれど…

2024/12/23

どんなに仲良くなって親密になったとしても、その相手と性行為をする可能性は常にゼロである、絶対にあり得ないということが本当に素晴らしいことだと思うのです、わたしにとってはね。

2024/12/23

「これをしないのは甘え」「できるはず、できないなんてない」みたいなことを最近考えなくなった。意識にのぼらなくなったなあ。

2024/12/19

つらかったこと、なんだかあんまり思い出せない。
時間が経って、もしかしてそんなにつらいことではなかったのかな……、のようにも思えてきたりするけれど……。
ドラマなどで自分と似たような境遇の人を見ると苦しくなったり泣いたりしている。

2024/12/15

励ましをもらうと、励ましてきた人を喜ばそうと思ってしまう。
励ましてきた人に、自分がしたことは意味のあることだったと思ってほしい。
励ましても意味がなかったとがっかりされるのが心苦しいし、気まずい。
だから私は励まされて元気になったかのような演技をするのね。

励ましとか特にそうだけれど、こちらの応答として一般的に想定されるもの、を差し上げた方がいいんだろうなあって。

・・・

就職して3年目あたりから、だんだんと精神面が悪化しているのだけれど、もう良くはならないのかな。
この先も悪化と共に騙し騙し行くしかないのかな。

日々の生活の毎秒毎秒、気落ちしているわけではないの。そりゃあね、嬉しい楽しいって思う瞬間もあるよ。あるんだけどね。

2024/12/07

虎に翼、2周目を観終えました。

本放送も見ていたけれど、すごく良いドラマだったので、放送終了してからすぐにNHKオンデマンドで契約して2周目を観始めた。そして今日、それを終えました。

2024/09/29

レンタルサーバのさくらインターネットで、また一年契約を更新しました。

ここ数日はブログに書きたいことがほとんどありませんでしたが、モリサワフォントの契約も更新しましたし、がんばって何か書いていきたいと思います。

2024/09/13

普通になりたかったな
標準になりたかったな
だってそうすれば生きていけるんでしょう
普通に働けないから普通に働きたくて普通になりたい
頑張って取った資格の分野で
正社員なんかじゃなくていい

また同じことの繰り返しよ
うまくいかなくて辞めるの
どうせまたそう

自分より社会的に弱い立場の人を考えないといけない気がした
でも考えてそれで、私の今の状況が何か変わるのか
考えたら私は元気になって気力が回復して普通に働けるようになるのかな

自らしぬことを考えるのはやめよう、という思考に至るほどには、。
それは考えない、と思考停止した。

一生懸命がんばって取った資格のことを考えたら悔しくて虚しくてたくさん泣きました
資格じゃなくて職場環境、人間関係

がんばれない
でもじさつしないようにがんばる

私が大学3年生のとき、バイト先にひとつ年上の先輩がいて、その人が就職するから辞めるとき言ってた。四月からは社会の歯車になって自分のためには生きていけないんだ、って諦めたように笑っていた。
そういう言い方は特に珍しいものではないのに何故かそれがずっと忘れられない。
反論したい気持ちはあるのに反論材料がない。
替えのきく歯車だから。
辞めたいと言い出したのが出たら翌日に辞めさせてまた新しいのを補充すればいいだけだから。

私はどうしてできないんだろう
どうしてそっち側に行けないんだろう


私に何かを言うんじゃなくて
私をこんなふうにした方に何かを言ってほしい

2024/09/08

「俺たち気を使わないでいられるから一緒にいて気が楽でいいよね」
という内容の台詞にストーリーの中で出会うことは特別珍しいことでもないが、
先日聞いたときは、自分の今の状態のおかげでクリティカルヒットを受けた。
涙が止まらなかった。

気を遣わないでいられなくて・遠慮がちになっちゃって、自分だめだなあ。
そのようにできなくて、ごめんね、と今まで接してきたたくさんの人たちに対して思う。

自分がやられて嫌なことは他人にもしてはいけなくて、でも他人が何を嫌がるかはどんなに仲良くなっても全部はもちろん分からなくて、だから、失敗しないように……。失敗といっても、別にひとつの失言で即拒絶されるなどと極端なことを考えているわけではないけれど(※即拒絶される類の失言も存在するとは思うが)、防げるものであるならば、防ぎたいと思うのは気を遣いすぎなのだろうか。

気を遣わないでいられる関係こそ最も良いもので、そうでないなら「仮の」「最良でない」「上辺だけの」などと思われるのなら。

せずにはいられないコレを、私自身もどうしたらいいのか分からないや。
他人に望まれる態度を、やれと言われて1秒で切り替えてできるなら苦労はしない。
他人とどううまくやっていけばいいのか分からない。

人間関係が原因でしにたくなるのだから、もうこれ以上しにたくならないようにするにはどうしたらいいか、

あまり気を遣わないように気を遣わないといけないと思っているけれど、そういう態度で臨んだ相手に対して私は「一生懸命」にはなれないかもしれないなとは思っている。あえて無礼を働くとかではないし、どうでもいいと思っている、までは行かないけれど……。

私の「一生懸命」は、相手にとっては「気を遣いすぎ」に映るし心的負担にもなっている。

こういう話題がこのブログには頻出すると感じられるかもしれないが、別にこんなことをしょっちゅう考えているわけではないよ。
ただ時々「あー、だから自分はうまくいかないのか」という気付きに出会ってしまい、落ち込む。

そういえば、「気遣い上手」なひとをみんな好ましく思うのではなかったっけ。
好かれるのは「他人に気を遣わせない気遣い上手」とかそーゆーやつ?
「他人にもまた気を遣わせてしまう気遣い」は下手な気遣いだからダメ出しをしたくなってしまうのかな。

「自然体」とか「気を遣わない楽さ」とかを求めておきながら、でもやっぱり「程良い気遣い」はして欲しいと思ってしまうんだね、きっと世の中的には。
気遣い・マナー・常識・親切・優しさなど、そういったものはそれぞれ重なっている部分があるから、難しいんだろうなと思った。

居心地のわるい相手とは関わり続けたいとは思わないのだから、私から離れていく人はたくさんいるだろう。居心地のわるくない距離まで離れてくれて構わない。

最近は、人と「会話」はしないけれど、なんらかの関わりがある、みたいな関係? 関わり方? はできないものかと考えている。
会話をしない関わり方というのもあるんじゃないかと思う。
例えば、人の作品を読むという形も「人との関わり」になるのではないか、とか。


競争心の低さを指摘されることがずっと悩みだったけれどもうこれで生きていくしかない
自尊心も削られてもう終わってる
気力がない

2024/09/08

神社に行ったときに出会った張子の狐さん。どうしても欲しくなって買いました。すっごくかわいい!
職員の人が言うには、狐さんの体に願いごとを書いて、祠に奉納するのだそう。
そういうものだと知らなくて慌てて「おうちに持って帰ってはだめですか!?」と訊いたら、「それでもいいですよ」と教えてくれたので、この子はいまここにいます。この子はだから、体に白い部分が多いんだ。でも私は願いごとを書く気はない。
私のところにいてくれたらうれしい。願いごとを叶えようとかしなくていい。私が考えるやり方で、できる限り大切にするね。

心配なのは、そういう目的で作られた体だからか、とても壊れやすい…ように見える。
写真の右に写っている子は、おみくじ付の子で、体は触れてみた感じでは丈夫そう。現に、私の通勤バッグのポケットの中に一年半以上いてくれた子だから。(ハンカチでくるんではいたものの、)ぎゅぎゅっと力が加わってしまった瞬間もあったと思うけれど、欠けたり潰れたりなどはしていない。
一方、張子の子は、耳の部分がもうすでに欠けているくらいで(最初から)…… 目的を見越して作られた体なのだろうなと考えていた。

あ、願いごと、もし叶えてくれるなら、あなた自身のその繊細な体が壊れないままでいつづけてくれたら、うれしいな。


その神社を囲うようにたくさんの〈のぼり旗〉があり、ほとんどに「安産・子授け」と書かれていた。ピンク色の旗。
それらに最初は怯む思いだったけれど、見方を少し変えてみる。
私も日々、詩や文章を生み出していて、何かを作って世へ送り出すと考えてみれば、「自分の納得いくものを書けますように、生み出せますように」という願いも「安産・子授け」に近いものがある、と考えられなくもない?
生み出すものひとつひとつに生活(命と言い換えてもいい)が懸かっている人だっているだろうし。