’24-09

知人の職場に霊の見える人がいるらしい。家族ほぼ全員見えるらしい。
霊の人が肩の近くにいるとか、霊の人と一緒に家に帰ってきてしまったとか、そういう話を聞くと、私の肩にも霊の人などがいるのだろうか、などと考え始めてしまう。ここ数年ずっと右肩の凝りに悩まされている。ズキズキする痛みはなく、なんか変な感じがする。それが原因で眠りが浅くなる日も時々ある。
いや、ただの凝りだよな。血流が滞って変な感じがするのだよね。

霊の人、と書いたけれど人以外の霊の場合もあるか。

私の住んでいる地域にある神社は、なにやら「氣が強い」らしいので、近日中にお参り行こうかな。
お祓いでないと意味ない? 貧乏人には無理だあ。
一昨年くらいに、その神社で買ったお狐さんのマスコット付おみくじがあって、その子を大事にする!
その子は、前の職場に入所する直前に来てもらったお狐さんで、通勤バッグの中でずっと一緒にいてくれた子なのだけど、その職場で私はうまく行かず、精神的に不調になりもうずーーっとだめなままだ。

’24-09

気力のある人たちだけが該当する話だったんだ、と今は思う。

気力をほとんど失った後でないと、在る状態がどういうものか分からなかった。

頑張るとか、やる気を出すとか、努力するとか、そういうことを当然のようにできているうちは、できていることに気づかない。できなくなった後で、あのときはできていたのか、と分かる。

できない人や可能性をほとんど想像できないほどには、当然できると思われていることを、できない自分自身に落ち込む。

落ち込むのも嫌だし、知らない誰かに勝手に落ち込まれるのも嫌だろうから、見ないように・関わらないようにしよう、となる。

’24-09

泣いたり、涙を怺えたり、そういう毎日をみんな過ごしているのかな。それとも普通の人はそんなことないのかな。


今日、交差点で轢かれそうになった。
自転車の私。車、ウィンカー出てなかったから、左折してくると思わないよ。
ゆっくり曲がってきたから私が止まれたけれど。

こうやって事故が起こるんだなあって、思った。

家を出たとき「死ねばいいのに」って心にまた浮かんだけれど、痛いのはやだあ。

苦しみが長引くのもやだー。


このブログでも使っている、モリサワのフォントの契約を1年更新した。

私の使用状況から考えればクソ高額だけどなあ。

気分転換に、本文のフォントをA1ゴシックRにしてみた。なんか独特よね、これ。

慣れなかったら「こぶりな」に戻すかも。

’24-08

整理のため、2018年ごろからのブログをパラパラ読み返しているのだけれど、
年々、精神面が悪化していっているのが分かる。
少しずつ、少しずつ。

’24-08 虎に翼

NHK朝ドラ「虎に翼」
山田よねさん.
〈女を捨てたい。男になりたいわけじゃない。〉と**よねさん自身の台詞で**聞けて良かった。
一番最初の紹介で「男装」と書かれて少し不安になり、どうかなーとずっと見ていたのだけど。
服それ自体に女や男があるわけではないし(とはいえ紹介や説明が大変な場合があるのも分かる)。

あと私、星のどかさんも好きな感じがしている… まだ描写が少なくて分からない部分も多いのだけど、なんとなく、たぶん。

・・・

いろんな口調・喋り方の人が出てきて嬉しくなる。私自身、喋り方には小さい頃から悩んでいるので……。
レッスンして「美しい」喋り方に「矯正」すれば良いというものではないし。

’24-08 夏

上の画像は、私が幼稚園か小学校低学年あたりのとき、近所の何か催事で色塗りをしたうちわ。
左に自分の名前をひらがなで書いてある。


一ヶ月前、近所のお祭りに行った。ここ数年は全然行っていなかったのだけれど、なんか気分が向いたので、屋台の並びを歩いた。といっても50m歩いたかどうかという程度だけれど。

たこ焼きを買った。いつも買うスーパーのたこ焼きと違って、中に入っているたこが大きくて感動した。

狐のお面をつけている子がたくさんいた。鬼滅の刃の影響で流行った? とか聞いたけれど、見ていて私も欲しくなったよ。

屋台では買わなかったけれど、家に帰ってから検索して素敵な面の作品をたくさん見た。いつか「これだ!」と惹かれる作品の面を購入して部屋に飾りたいなあ。

’24-08

「永遠にわたし(あなた)だけのもの」とする関係を苦手に思う。


「虎に翼」を見ていて、「永遠を誓わない愛」という台詞があった。
わたしもそれに近い思想を持っている。
「永遠の愛を一人の相手に誓う至上主義」の思想は私には合わない。

けれど、昔、恋愛の事柄について疑問や不満をtwitterに書いていたら、それを見ていた友人からお叱りの言葉をもらったことがあり、それを思い出すと憂鬱になって筆が進まなくなり、あまり書かなくなった。

わたしがいいなと思っている関係は、言葉での表現を試みるなら「ポリ・クィア・プラトニック」のようなもの、だと思う。

話す理由

自身の被害経験を話すとき、「同じような被害に遭っている誰かのためになるから」ということを話す理由に加えることがよくあるけれど、でも、別に他の誰のためにならなくてもいいと思うよ。

話す気持ちを後押ししてくれるものとして「誰かのために」という理由に力をもらうのもいいと思うし、結果として本当に誰かを助けることになるだろうけれど、自分のためだけに、自分のことしか考えずに被害を話し始めたっていいでしょう、悪いわけがないと思うのです。

(’21-04)

’24-08

積乱雲。夕日。少し遠くの空。

分厚い雲。雨が降り出しそう。真上の空。

農道。稲のあお。

机を整理していたら出てきた知恵の輪。何年も前に買ったものなのだけれど、解くことができずずっと放置していた。解説を見ながらだが外すことができた(解けたとは言わない)。

写真には写っていないけれど、もう一種類持っていて、そちらは難易度が低いので買った当時、自力で解くことができた。鍵の形のもの。ひとつ解けたことに調子づいて難易度を上げたものを購入したら全く歯が立たず、諦めて放置していたものが写真のふたつ。

’24-08

一昨年の夏、一匹の蝙蝠が家の外壁にくっついて丸まって寝ているのを見た。
間近で見たのは初めてで衝撃的で、そのあと蝙蝠がよく夢に出てくるようになった。

’24-08

掲載された雑誌の発売からかなり時間が経っているが、平岡直子さんの「回線」を読んだ。
私の感覚からすれば、現代火星人協会はかなり異様だ。
その協会に入会して入会金や年会費を納めなければ、貰えるはずの賞も貰えないのだという。そんなバカな! それも「けっこうな額」であるらしい。どうしたらそんなことになるの?

❝ それならはい、受けます、はい、と口にしてホットミルクの膜を思った ❞

(平岡直子「回線」・現代短歌91号2022年7月)

作中では結局、賞を与えられる代わりに提示される条件を呑んだようである。

牛乳を温めるとできる膜。飲もうとする口と牛乳の間に存在している膜。膜は牛乳を覆っている。口に一緒に入り込もうとする。飲みたいのは牛乳であり膜はいらないのだが。

読んでいてつらくなる一連だった。

2024/08/08

できることが何もない
求められるレベルのことができない
どこに行っても邪魔なお荷物になってしまう

努力してないだけでしょ、と言われてしまうので人には話せない

使えるレベルの、できることが本当に何もない
この年齢になっても

’24-07

歌詞も含めてだけれど、創作物で表現される辛さや苦しみをなくすためにはどうしたらいいんだろうってよく考える。何が在れば或いは無ければこの人は苦しまなかったんだろうって。私にとってはそれが出発点になる。

’24-07

私は「気遣い」を「親切」だと考えていた?
親切だと思っていたから自分にとっては良くても相手にとってはやりすぎに感じられていた?
「そんなに気遣わなくてもいい」が「そんなに親切にしなくてもいい」のように私には感じられたから、そう言われてどうすればいいか分からなくなっていた?

加えて「優しさ」や「思い遣り」などの言葉で表現できるような行動も含めて、やっぱり良いものだと思っていたからそういう行動を取っていたのだろうな、自分は。

気遣いの表出度合いを下げていったときの自分がどういう風になるか想像したら、なんか意地悪じゃない? と思えてしまったんだよね。意地悪というか、相手と良い関係を築く気が本当にある? とか、良い雰囲気作りに非協力的でどうしてこの場にいるの? みたいな感じで……。だから、気遣いと親切とを、近しい行動として考えていたのかなあ、って。

最大限の気遣い(最大限の親切)……

’24-07

先日、ラベンダーを見に行った

写真はあまり撮らなかった

車での移動だったのだけれど、久しぶりに嘔吐した。けれど胃の中に何もなかったらしく、出たのは胃液と唾液だけだった。特ににおいもなく……。胃液ってにおいしないんだな。

’24-06

カレーの写真

写真奥のビーカーには白ワインが入っている。

カレーに乗っかっている星は、スーパーに売っていた、カラふルというお麩。かわいい。