Month: March 2019

’19-03 不自由の中の自由

なんとなく気分が明るくならないとき『イシュタルの娘』(大和和紀)を読む。

お通さんや信輔さんが書に向き合う姿が好きだ。

私はいま、信尹(信輔)さんが流罪になった年齢とほぼ一緒と思われる。信輔流罪編が心に深く残っている。公家や政治のことで疲弊しつつも必死にもがき、秀吉に恨まれ流罪になったけれど、その流罪先の鹿児島で自分にとって大切なものを見つける。

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’19-03

❝ しばしば表現の自由は「各人が、自分のいいたいことをいう自由」というように、送り手の意欲の満足にのみ着目していると捉えられる。「“対話”する権利」論は、言語表現が受け手とのあいだに成立する社会関係であることに着目し、「対話」を保障することにこそ表現の自由があるとする。〔……〕送り手と受け手とのメッセージの交換=異説との出会いによる自己発展の契機を重視していた

P.136 『教養のためのセクシュアリティ・スタディーズ』(2018)

対話を保障すること。


以下、被害体験等を含む内容

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