❝ しばしば表現の自由は「各人が、自分のいいたいことをいう自由」というように、送り手の意欲の満足にのみ着目していると捉えられる。「“対話”する権利」論は、言語表現が受け手とのあいだに成立する社会関係であることに着目し、「対話」を保障することにこそ表現の自由があるとする。〔……〕送り手と受け手とのメッセージの交換=異説との出会いによる自己発展の契機を重視していた
P.136 『教養のためのセクシュアリティ・スタディーズ』(2018)
対話を保障すること。
以下、被害体験等を含む内容
ハロー*ークに行った。昨日はパソコンで検索するだけだったが、今日は係りのひとに応募先の相談にのってもらった。
やっぱり、半年弱で辞めた点が目立つらしい。それもそうか。理由を訊かれる。セットで「やっぱり人間関係?」とも。私は本当は「セクシャルハラスメントに耐えられなくて辞めました」と言いたい。でも、そう言おうとすると、涙目になる。泣くのを抑えられないだろうなと思って、それではまずいから「あ、はい…そうです、」と答える。半年くらい前に派遣会社に登録したときも、理由を求められて、そのときは相手が女性だったので、思い切って、言うことができたが、言葉に詰まって声が震えて涙目になって、ボロボロ泣く状態にこそならなかったが、私には負担だった。
ハラスメントを受けたという出来事に対して、辛いとか苦しいとかの感情はもうないと思うのだけど、それを他人に話すとなるとまた別問題で、なんでこうも、泣いてしまうのだろう。
・
伊藤詩織さんの海外での活動を特集した番組で見たことなのだけど、ハラスメントなど暴力に遭ったとき、対処としてそのとき何かを出来ても出来なくても、自分にとってはそれが最善の対処であった、とカウンセリングで話すのだという。この考え方が本当に素晴らしいと思った。性暴力に遭ったとき、たとえ逃げることができなくても、何も出来なかったとしても、被害者にとってはそれが最善であった。「私は最善のことをした」と考えること。