「この状況がずっと続くわけではない」ということにずっと心を救われてきた。
2019-07-04
芸術家が集まるアパルトマンに住みたい。
以前見た、世界ふれあい街歩きのパリで、そういうのを見てからずっといいなあと思っていた。
引っ越したいわけではないけど、たくさん稼いでそういう部屋を手に入れて、そこで執筆活動したい願望がある。文芸だけではなくいろんな分野の芸術家が集まって、少しの交流をしたりとか……そういうのがあったらいいのにな〜と思った。
夕張のイントネーションが、たんぽぽと一緒って知らなかった。夕方と同じように発音してた。夕張メロンでメロンがくっついても一緒なのかな?
自虐は、他者から言われたくないが言われる可能性のあることを、前もって自ら言っておくことで言われることを防ぐ、そうやって自分を守る側面があるけれど、そんなこともうやめたいと思った。
自分自身を笑いものにすることで場を盛り上げたりとか。
「理想宮か、公共彫刻か?――『アナと雪の女王』」
https://note.mu/kankanbou_e/n/n02472f8a3ea9
『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(北村紗衣)より(試し読み)
❝ 別に人間嫌いなのは悪いことではないですし、そういう人を無理矢理コミュニティに組み込もうとするのは余計なお世話です。エルサが山でこういう個性的な芸術作品を日々洗練させながら、雪だるまを相手にひとりで世間を呪って暮らしていってもいいんじゃないかと思います。
人間嫌いなのは、あまり良くないことで、いつかは直さなければならないものだと思っていた。でも、違うのか。人間嫌いのままでもいいのか。根本的な気持ちの問題として人間嫌いであってもいいのか。
人間嫌いであることと、他者を嫌悪する言動をあからさまにとることとを分けて考えることができていなかった、ということなのかな。
❝ つまりこの映画では、自由を謳歌し、階級や社会が求める役割から離れて、人と違うことによって生じるものすごいクリエイティヴィティを自分のための芸術作品に費やすよりは、市民のためにちょっとベタな感じのスケートリンクとか公共彫刻を作ることが評価されるのです。これは好みの問題ですが、私はこういう、マイノリティは必ず包摂して世間に対する責任を果たしてもらわなければいけないし、ひとりは寂しいから社会や家族とかかわってこそ幸せ、みたいな落とし方はちょっと押しつけがましいと思います。
「ひとりは寂しい」って刷り込みだったのかな、とちょっと思った。
わたしがずっと思っていた「人生のパートナーがいたら嬉しい」ということも、もしかして刷り込みなのかも。