’19 送り火、迎え火

2019-08-13 迎え火

今日は夕方、ぬいぐるみちゃんと一緒に迎え火をした。目を瞑って手を合わせた。きゅうりの馬さんと、なすの牛さんをつくった。割り箸を刺したとき、きゅうりにヒビが入ってしまったので、かわいいシールを貼って補強した。ごめんなさい、許してください。おそうめんの手綱をかけた。

毎日、夜寝る前、お仏壇に手を合わせておねがいごとをする。生者の努力ではどうにもならないことをおねがいする。

線香の煙のゆらゆら、見ていて飽きない。ずっと見ていられる。いつも創作で書かせてもらっている。揺れる煙は文字に見える。なにかを伝えようとしてくれているのかな。ただよう煙が部屋に広がって、抱きしめられているみたいだよ。


2019-08-16 送り火

送り火をした。

おがらに火がつかなくて、燃えてくれなくて、しかもチャッカマンもちょうど終わってしまって、40分くらいずっとやってた😭 おがら燃えない。焦げるけど、火はつかない。自主的に燃えてくれない。むずかしい!
マッチが怖くて苦手で、中学生の理科以来やってこなかったのだけれど、今日はほんとうに仕方がないので、マッチを使って蝋燭に火をつけて燃やした。マッチの短さが苦手。指のすぐそばに火があってほんとうにこわい。それに比べて、チャッカマンは指と火の間に安心できる距離があるので良い……。

半泣き状態でなんとか送り火を終えた。目をとじて手を合わせたので、まあ、大丈夫だと思う。

ちなみに去年やったときは、新聞紙もいっしょに燃やしたけれど、新聞紙は自分たちだけ燃えておがらのことはそっちのけだったので、今年は使わなかった。新聞紙の燃え殻は風ですぐ飛んでしまうし。

ちょうど今日『蝉声』(河野裕子)を読み終えた。一冊を通して闘病のことがメインで書かれている。進んでいく病状に、読み進めるのが辛かった。
時間、ひと、花、身の回りのものへの観察や心の動きをひとつひとつ丁寧に歌にしているように感じた。

・・・

わたしが創作しているところを、ご先祖さまに間近で見てもらえたと思う。これからは、またそちらで見ていてほしいな。

CLAMPの『ツバサ』を購入してある分だけ再読しているのだけれど、この物語も死者を蘇らせたい、死んでほしくないという願いから始まったものだった。CLAMP作品は、記憶とか思い出とかをすごく大事にしていて、それらが物語の根幹にあるように思う。

わたしも、日々のことを日記や詩として残していきたい。すべてを覚えていることはできないから書きとめておく。忘れてしまってもそれをいつかまた読み返して、ああそういうこともあったなあと懐しみたい。思い出したい。残しておきたい。

「死」についていつもより少しだけ多く考えていた2019年のお盆だった。