異性愛規範、家父長制、男性中心主義、そういった考え方の中で20年と少し生きてきた。そういう考え方や価値観に則って、作品を鑑賞してきた。だから、出てくる感想もそれらを基盤にしているわけで、じゃあわたしが今まで良しとしてきたものって……。
作品を楽しく鑑賞して、感想を一生懸命に書いたりしてきたけれど、その感想は偏見に塗れたものだったんだと感じた。偏見に塗れた価値観から出てくる感想が、偏見に塗れていないわけがない。
観た映画や本は、つまらなかったものも含めて、ほとんどブクログに登録していた。2011年から使っているけれど、自分の軌跡のようで、思い出として眺めるのが好きだった。けれど、なんだか、すべて無駄だったように思えた。ばかばかしくてくだらないもののように思えた。考え方や価値観が根底から揺らいで崩れて、無意味な時間だったように思えた。
ブクログをよくいじるんだけど、一番最初の登録が2011年の11月だった。8年もやってるのか。
一度しか見ない映像、一度しか読まない本、内容覚えてない部分も多いのに、なんか意味あるのかな。登録された作品たちがただ並んでいる。その都度ちまちま登録してばかみたいだった自分。登録して収集することに一生懸命だったんだね。
星5付けてた作品、なんでこの評価にしたんだろーって。
大学生のときはよく映画見てたなー
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すきだったものをもう一度検討する。すきだったものぜんぶなくなってもいいよ。おもしろかった、すきだって感想を一度捨てる。
やっぱり自分の中にはなんもなかったんだなー。読んでも聴いても見ても、自分の感想とか感情さえも刷り込みだったんだろーな。表面を流れていっただけで、なにかが蓄積されたとかではなかったんだろーな。心に抱いたものはあらかじめ他でつくられたものだったんだと思う。
なにかを考えてたとかそーゆーんじゃなかった。ぜんぶ刷り込みだった。社会の雰囲気?を取り込んでなんかを言ってただけでそこに自分自身はなかったんだ。
快くない気持ちと共に得る気付き。のうのうと生きてきた今までの人生をまざまざと見せつけられる。
結局わたしって空っぽなのかも。何かがあると思っていたけど違うかも。確固たる意志も、素直な感覚もないのかも。全部、刷り込みなのかも。
なんでこんなに偏見塗れになっちゃったんだろう。何を見て、何を見なければよかったんだろう。
知ろうとしなかったからか。せめてもう少し、世の中に在るもののバランスが取れていたなら。偏っていなければ。というのは責任転嫁か。
リセットできたらいいのにな、無理だけど。世界中で人気と云われたあの漫画も、古典名作と云われたあの映画も、世界中でベストセラーと云われたあの小説も、テレビドラマも、歌も、絵も、劇も、詩も、ちょっと、一度、わたしの中から出て行ってくれないだろうか。「おもしろかった」と思った気持ちも含めて、ちょっと出て行ってほしい。出て行ってそれでどうなるってわけでもないのだけど。すきだと思っていたものが信じられなくなってしまった。
どうしてそれを「おもしろい」と思ったんだろう。「すきだ」「良い感じ」「きれい」……わたしの中のなにがそう思わせたんだろう。感覚も感情も、全部、ほんとうに全部、刷り込みなのかも。
わたしには何が書けるんだろう。いやべつになにも書かなくていいのか。・・・