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’24-08

掲載された雑誌の発売からかなり時間が経っているが、平岡直子さんの「回線」を読んだ。
私の感覚からすれば、現代火星人協会はかなり異様だ。
その協会に入会して入会金や年会費を納めなければ、貰えるはずの賞も貰えないのだという。そんなバカな! それも「けっこうな額」であるらしい。どうしたらそんなことになるの?

❝ それならはい、受けます、はい、と口にしてホットミルクの膜を思った ❞

(平岡直子「回線」・現代短歌91号2022年7月)

作中では結局、賞を与えられる代わりに提示される条件を呑んだようである。

牛乳を温めるとできる膜。飲もうとする口と牛乳の間に存在している膜。膜は牛乳を覆っている。口に一緒に入り込もうとする。飲みたいのは牛乳であり膜はいらないのだが。

読んでいてつらくなる一連だった。

2024/08/08

できることが何もない
求められるレベルのことができない
どこに行っても邪魔なお荷物になってしまう

努力してないだけでしょ、と言われてしまうので人には話せない

使えるレベルの、できることが本当に何もない
この年齢になっても

’24-07

私は「気遣い」を「親切」だと考えていた?
親切だと思っていたから自分にとっては良くても相手にとってはやりすぎに感じられていた?
「そんなに気遣わなくてもいい」が「そんなに親切にしなくてもいい」のように私には感じられたから、そう言われてどうすればいいか分からなくなっていた?

加えて「優しさ」や「思い遣り」などの言葉で表現できるような行動も含めて、やっぱり良いものだと思っていたからそういう行動を取っていたのだろうな、自分は。

気遣いの表出度合いを下げていったときの自分がどういう風になるか想像したら、なんか意地悪じゃない? と思えてしまったんだよね。意地悪というか、相手と良い関係を築く気が本当にある? とか、良い雰囲気作りに非協力的でどうしてこの場にいるの? みたいな感じで……。だから、気遣いと親切とを、近しい行動として考えていたのかなあ、って。

最大限の気遣い(最大限の親切)……

’24-07

歌詞も含めてだけれど、創作物で表現される辛さや苦しみをなくすためにはどうしたらいいんだろうってよく考える。何が在れば或いは無ければこの人は苦しまなかったんだろうって。私にとってはそれが出発点になる。

’24-07

先日、ラベンダーを見に行った

写真はあまり撮らなかった

車での移動だったのだけれど、久しぶりに嘔吐した。けれど胃の中に何もなかったらしく、出たのは胃液と唾液だけだった。特ににおいもなく……。胃液ってにおいしないんだな。

’24-06

カレーの写真

写真奥のビーカーには白ワインが入っている。

カレーに乗っかっている星は、スーパーに売っていた、カラふルというお麩。かわいい。

’24-05-08

先日、印刷所さんから頼んでいたZINEが無事届きました。

見たい読みたいと思う人の所に行けるといいね、あなたたちを今度は届けてあげられるように、わたしがんばるねとZINEたちに話しかけてあげました。

’24-05-03

文学フリマ東京38で出すZINEについては、印刷所さんへ入稿しましたので、あとは当日までに何も問題が起こらないことを祈るだけです。
設営の小物類も準備しなければいけないけれど、今回が初めての参加ではなく、基本的なものは揃っているので、あとは小銭とか……?
当日の完売はないと思うので、匿名配送の手配もする予定です。

これからはどうしようかなあ。

まず、ブログの整備をやりたいなあ。
撮り溜めた写真と以前の日記的な文章の再公開。
日々の出来事や考えたことは、一応ローカルの環境ではほぼ毎日ずっと書いていて、後日見直しまとめて公開しようと思っているのですが、追いついていない状態です。

サイトのページで遊ぶのも好きなので(そこまですごいものは作れないけれど)、短詩や図形詩と組み合わせたりして作りたいなあ。写真とか絵とか使ったり。
ひとつのページに短歌や川柳とか韻文でない短詩も入ったひとつの作品、みたいなものも作ってみたい。

毎月貰える朝日新聞額絵シリーズの絵をファイルしていて、9年?分くらいあるので、それらをもとに詩を書いてみる二次創作? みたいなこともしてみたい。

短歌の新人賞にも応募したい(紙でしか受け付けないところ、どうにかならないものか……)。